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「達」まなび・碕達之助集
社屋にある書棚の蔵書『碕達之助集』を読んだ感想など。
(碕達之助/1885-1964 元通産大臣、東洋製罐株式会社の創業者)
年度別:2019年以前  2020年度  2021年度  
 
 2021/08/21   (33/52週) 司馬史観でみる達之助の情報感性
お盆休み、普段は買わない週刊誌を巣籠りの友にしていたところ、週刊朝日の『ノモンハン事件に見た日本陸軍の落日』という記事に目が止まりました。これは作家の司馬遼太郎さんが、1994年に陸上自衛隊幹部学校のイベントの記念講演で話した内容です。

ノモンハン事件は日本が太平洋戦争前に大敗を喫した事実上の局地戦争だったことが知られていますが、司馬さんはこの講演で、その負けた理由(みすみす後手に回った情けなさ)について取り上げています。
日露戦争後、ロシアの兵器が格段に近代化しているとの情報を得ていたのに、組織内でまともに取り上げられず、対応を怠った。情報の扱い方を日本人の国民性に照らして問題提起したお話でした。


講演録の冒頭付近と末尾の数行を引用します。
「およそ情報というものは、水田農業の農村においては重要なものではなかったのです。それどころか情報というものは時に村の平和を害する類のものであり、庄屋が握りつぶすべきものであり続けた。そういう社会がずっと続いてきた。」
「日本人にとって情報とは、学びとらなければ仕方のないもの」
「われわれ日本民族がまじめだったのは明治三十八年の日露戦争まででした。
明治という時代は、政治家も官吏も、軍人も教員も、情報を獲得することに、生かすことに実に敏感でした。情報という感覚を失うとき、国が滅びるのです。」

これを読んだとき、私は高碕達之助のことを思い出しました。自分は彼を通じて、明治の人の気骨のようなものを学んでいるのではないか?

達之助も情報に対する感性がするどかった。
壮年期においては、満州引揚げ時しかり、佐久間ダム建設時しかり。青年期〜少年期においては、渡米の決断時しかり、水産加工を志す時しかり。
情報を重視する人と軽視する人とでは、忙しさ(活動の密度)がまったくちがう。老年期の達之助翁も、偉くなったからといって、ふんぞり返っているヒマはまったく無かったと想像されます。

司馬遼太郎さんは講演で、情報にちなんで英語の表現を3つ挙げました。
・インフォメーション
・インテリジェンス(諜報)
・ウィズダム(知恵)

インフォメーションが、普通に生活していても入ってくる情報を指すとすれば、インテリジェンスは、諜報員を差し向けるなどして(意図して)獲得できる情報。ウィズダムとは、情報に触れる人間側の資質のこと(司馬さんの表現で「状況を正しく判断させ、その人を賢くする」知恵)。細かく分けると、情報にはこういった成分があるようです。

今年のお盆休み、家で週刊誌をめくって得た情報は、以上のようなことです。
私の主観もこめ、収穫できたことを申しますと、

・日本人は、その本性として、情報を軽視する。(個人差はあっても、集団や国家のレベルではそこに向かっていこうとする。)ゆえに、「学びとる」(本性にない動きを自律的に行う)必要がある。
・ただし明治維新から日露戦争までは、例外的に「まじめ」で、日本人でありながら情報感性の鋭い時代であった。

だからといって、明治は良いことばかりかというと、廃仏毀釈など仏教軽視の方向へ進んでいった負の部分もあります。情報とは意味もなく重視するものではなく、因果関係を好転させるために活用するもの。であれば仏教の縁起・因縁といった考え方は、情報の尊重を促す教育になっていたのではないでしょうか?

ここで思い出されるのは、達之助翁と仏教との接点です。嗜眠性脳炎で療養中、『良寛さん』を読んでいました。郷里で悲母観音像を建立するプロジェクトも行いました。そして何よりも、回顧録には著名な人々と無名な人々が同列に(実名つきで)取り上げられている。ここに彼の(情報感性だけにとどまらない)世界観を感じます。

思えば、このお盆休みも仏教行事。ものごとの因果関係と、それを好転させるための情報活用に思いをはせながら、司馬史観に触れてリフレッシュさせていただきました。

 
 2021/07/22   (29/52週) 達之助翁の日めくりカレンダー
先日、当社事務所の会長席の背面に、高碕達之助を題材にした名言・格言日めくりカレンダー「高碕達之助 名言に学ぶ」が掛かっているのを見つけました。

会長が例会に出席している高碕達之助に学ぶ会で、販売を始めておられるようです。私も1つ、会長を通じて購入させていただきました。

カレンダーの特徴として感じるのは、1日ごとに情報量が多いこと。その言葉がどんな状況で発せられたのか(居合わせた人のお名前を含む)が確認できます。たんに名言だけを切り取っていないので、学びやすいです。

31個もの名言に、普段から慣れ親しむことで、凡庸な自分にも何か気づくことがあればいいなあ……と願います。

自席の前(コロナ予防のアクリル板のところ)にカレンダーを置いてみたところ、まずそれだけでも清々しい感じ。

 
 2021/07/03   (26/52週) 少年野球チームとのご縁
当社事業所は、創業家の所有する農地だった敷地内に社屋が建っており、敷地内には貸し駐車場が併存しています。駐車スペースの稼働率はあまり過密でなく、そのため私たち社員は出張の積み込み作業時も、のびのびと車を取り回しさせてもらっておりました。

それが、この6月末から状況にやや変化が。新規に駐車場を利用される大口の店子さんとのご縁が始まりました。社員とは直接の関係はございませんが、敷地内では以前よりも車をゆっくり動かす等、社長より心がけの訓示がありました。

その店子さん(少年野球チーム)は、マイクロバスのロゴにあるように、大阪球道さんとおっしゃられるようです。ネットで確認すると、一般社団法人全日本少年硬式野球連盟大阪第二支部に所属され、中学生を対象とした「ヤングリーグ」と一般的に言われる場を主戦場にしているとのこと。戦績も立派なクラブチームです。

これまで会社の近くで、野球のユニホームを着た青少年が走り込みをする姿を、ちょくちょく見かけておりました。野球に縁遠い私などは(学校の部活かな)と漠然と思って済ませていたのですが、民間のクラブチームであることをこのたび初めて知りました。

このご縁、たんにそれだけのことで済ませても良いのですが、碕達之助のファンである私としては、(もしや、達之助先生のお引き合わせではないか?)と感じています。その理由は、6月という当社決算期の初めのご縁であるということ、そして少年野球チームという目標管理が明確な活動をなさっている団体である、ということからです。

◆少年野球チームで、試合をした後、「自分のチームが勝ったのか、負けたのか」を知らないで帰宅する少年が居るでしょうか?

◆会社勤めの社会人で、勤務先の1年間の決算が「黒字だったのか、赤字だったのか」を知らないまま、惰性で新たな期を迎えている大人が居るでしょうか?

前者は基本的に考えられませんが、後者については、けっこうあるものと思います。(青少年諸君、こんな大人をどうぞ笑ってください!)

米大リーグで本格的に活躍した日本人選手の草分け・野茂英雄さんが、あるインタビューでこんな答えをしている報道がありました。
「野茂さん、アメリカでは、何のために野球をしているのですか?」
「何のため? (試合で)勝つために決まっているじゃないですか。」

この問答は、問いのほうが理念や志をあつかい、答えのほうは日々の具体的な役割と成果を念頭に置いているため、ミスマッチが生じています。しかし両者は別モノではなく、日々の具体的な役割と成果の先に、理念や志の成就があるわけですから、会社でも決算という「試合結果」を検証し、すべての選手がそれを受け止めて次に備えていく……、そのことが欠落していて良いわけがありません。

試合結果は、相手チームの名前が頭に入っているからこそ、「あの試合ではああだった」と個体識別ができます。そのことは決算でも言えることで、「第○期の決算ではこうだった」と確認を立ち上げ、そこから他期との比較をしたり、トレンドを見ていく検証が効率的に進んでいきます。

いま、当社では新しい進行期が始まっています。これは「第何期」なのでしょうか? まずはその名称の個体識別から始めないと、何も始まりません。

碕達之助翁は、検証を重んじていたと聞きます。「うまくいった際は、おおざっぱな検証でよい」ではなく、予想外に良かったときも同様の精度で検証し、次のさらなる(危なげない)成長につなげていく。このたびの少年野球チームとのご縁は、私たちがそれに気づく(再認識する)ためのお引き合わせではないでしょうか?

 
 2021/06/13   (23/52週) 欲を育み、磨け! 先人の想い
渋沢栄一の言葉で、達之助と共通点のありそうなものを一例、発見しました。

お札の顔になることが内定している渋沢栄一は、今年の大河ドラマでも取り上げられ、にわかに広く知られる人物となった。当社でも正月の仕事始めに、社長より、商工会議所を創設した彼のことに触れる訓示があった。

先日、新聞記事で渋沢栄一の言葉が紹介されており、その一つに「無欲は怠慢の基である」というのがあった。達之助ファンの私がそれを見たとき、「野生の鵜と動物園の鵜」のこと(『碕達之助集』下巻・67頁。飼育された鵜は魚を獲りに行こうとしないので、鵜飼いの漁には使えない)が連想された。明治時代の経営者と昭和である当時の経営者との比較において、比喩として用いられた表現であるが、これは現代においても「創業者と後継者」あるいは「経営者と社員」というふうに読み替えが可能に思える。とにかく野生と鵜と飼育された鵜との「欲」の違いを言っており、渋沢栄一の取り上げる「欲」と並べてみて、両先達がどのような欲(積極性のベクトル)を重視しているのか? を考えてみる機会となった。

私ども企業勤めの社員も、創業者ほどの緊張感が無いという意味では「飼育された鵜」であり、野生の欲には欠けます。しかしそれなりに自己鍛錬してハングリー精神を補うことは、産業人として有意義なはずです。


◆目指す境地はゴルフ三昧?

私自身、どうしても積極性の向かないものに、ゴルフがあります。(若い頃に数ラウンド体験したものの、性に合わなくて近寄らないことにしたので。)それゆえ、ゴルフに興ずることのできる人を、私は尊敬しています。たしなむ皆さんの心の境地(ゴルフ三昧の境地)は、もしかすると渋沢栄一と達之助の両先達が重視する「欲」のモデルではないでしょうか?

人がゴルフ三昧になっているときの積極性の状態には、大きく2つのベクトルがあると想像されます。


1.課題を拾いもののように思う心
「今日は風が強い」とか、「このコースはOBが出やすい」など環境上の課題や、「先週の仕事の疲れが抜けていない」など本人のコンディションの課題などに見舞われても、嫌気を起こさず、「さてさて、今日はそんな中でどんな経験をさせてもらえるかな……?」という気構え(=何があっても自分の糧にするぞ、という欲)がわき上がってくる。そんな心のベクトル。

2.甘んじて手こずり、検証する心
完璧にこだわらず、スコアが120付近の人なら「今日は100前後になれないかな?」、100前後の人なら「80台に近寄りたいな!」と、不完全な中でもそこそこマシな不完全さを目指す。そして、それと全く違う展開になっても、「やれやれ、100を目指していたら、逆に140に返り咲きですわ!」と甘んじて手こずり、その経験を受け容れる。
ただし、帰宅してからは次回のラウンドに備え、「せめて5番アイアンのスライスの癖だけは、練習して直しておきたいな」とか、道具を見直したり、レッスン・プロの活用を検討したりする。そんな心のベクトル。


この2つのベクトルに対する適性を自己チェックする場合、「片方は既にかなり備わっている」などの個人差があるだろう。であれば、2つのベクトルは同じ向きに並べるのではなく、十文字に交差させて平面をつくってみてはどうか。縦軸(Y軸)を「課題を拾いもののように思う心」の度合い、横軸(X軸)を「甘んじて手こずり、検証する心」の度合い、というふうに設定してみる。そうして田の字をした平面座標の右上から、反時計回りに第一象限・第二象限・第三象限・第四象限と区別し、その人の「欲」の軸足がどのエリアに属するか? という形で傾向をつかめるかもしれない。

このように座標を組むと、ゴルフ三昧の境地の人は(ゴルフにおいて)第一象限を自分のフィールドとする人で、そこは両先達が重視する欲(積極性のベクトル)のホームグラウンドなのでしょう。
私たち企業勤めの社員が、(ゴルフではなく仕事の面で)「飼育された鵜」の状態で第三象限、あるいは少し活気のある第二象限や第四象限をホームグラウンドにして済ませているのであれば、現状はアウェイである第一象限の場所こそを、自分のホームにできるよう自己鍛錬する。それがテーマになりうると思います。


◆軸足の自己チェック方法
自分のホームグラウンドが第一象限〜第四象限のどこを軸足にして広がっているのか、まずは自覚するところから全てが始まると思います。どのように自己チェックすれば良いのでしょうか? 思いつく着眼点を挙げてみました。

イ.活動方針の有無
年度初めや決算期の初めに、活動方針を立てているか(部門であれば部門方針)。/その立て方(立てる時期や周知の方法)は、効果的か。
決算内容の分析など、過年度のことを少しでも検証しておれば、「次はこうなりたい」と欲が出て、方針や計画を立てる気になるはずです。

ロ.(時間的な)優先順位のつけ方
やるべきことを、どういう順番で片付けていくか。/そもそも、優先順位という概念を持っているか。(その日一日、時間がつぶれたら良いと思っている人は、順番を気にすること自体がありません)/優先順位は、どのくらいのスパンで見直しているか(半日単位、1時間単位、10分単位,etc.)。

ハ.(分量的な)優先順位のつけ方
1日・1週間・1ヶ月・1年間のうち、何に多くの時間を充てているか。/各イベント類に自分が関わる、頻度的なものがどうなっているか(例:社内会議への出席回数と、社外の会合への出席回数の比較など)。


◆商工会議所が「欲」を磨くのに貢献するケース
渋沢栄一が興した商工会議所は、現代まで脈々と運営され、その主たる役割や多様な役割については、揺るぎない価値があるのでしょう。ただし、こと「欲」を磨くのに貢献しているか? という観点では、その実情はどうなのでしょうか?

商工会議所(商工会)には青年部というのもあるそうです。若き事業経営者が入会しておれば、イベントに招かれるばかりでなく、世話役になる機会もあり、人的交流が盛んにおこなわれているようです。

日頃、自社内で生じている課題に手こずっており、すぐには解決法が見いだせない。そんな折、ふと参加した商工会議所のイベントで思わぬヒントを得て、再び自社内での取り組みに専念できるようになった……。このような好例は、前提として普段から「ちゃんと手こずっている」から得られるもの。そのいっぽうで、会議所をたんなる現実逃避の避難所として使っている場合はどうでしょう? その場合は、暗愚で第三象限をホームグラウンドにしている鵜が、いつまでも第一象限に移って来ない日々を浪費するばかりで、害のほうが多いのではないでしょうか。

その業種・職種・職位にとって本業ではない、ボランティア的なことを自ら担っておれば、その出来ばえを問わず、何をやっても喜ばれる(ねぎらわれる)のは当たり前。そんな「マイナス評価を浴びることのない」活動に引きこもっていたいのなら、その事態は本質的に8050問題と同じでしょう。

商工会議所に参加する人は、商工会議所を創設した人の理念を体現すべきですし、少なくとも本末転倒な事態は避けねばなりません。

「自己鍛錬して、野生の鵜に近づく」。欲(大望/たいもう)を獲得するためにも、まずはゴルフ三昧の境地で仕事ができているか、自問自答することから始めてみませんか? 両先達が言いたかったことは、きっとそういうことでしょう。

 
 2021/03/20   (11/52週) 私の感得した達之助スピリット
 当社に入社させていただいた4年前、書棚にあった『碕達之助集』を拝読する機会を会長から頂きました。以来、私も使用人の身ながら没後弟子を気取らせていただいております。

 私なりに感得した達之助スピリットは3点です。

◆織るが如く
「カンやひらめき」と「科学的アプローチ」という真逆の要素から取捨選択するのではなく、それらを経糸(たていと)と横糸で「織るが如く」組み合わせ、ビジネスチャンスをつかんでいく……という発想。
(一方向に並んだだけの糸をシートにしてすくうのと、網状・布状になった糸ですくうのとでは、チャンスを取りこぼさない効率は桁違いに差が出るわけです。)
 この発想を応用し、「心がけ」と「仕組み」という2つの要素についても、織るが如く運用していけば、仕事場の活動効率も良くなると思いました。

 なお、科学的アプローチには「検証の大切さ」も挙げておられます。国家予算など政治の面でも本来、決算をし、予算よりうまく行った場合でも「なぜうまく行ったのか」検証すべし……とは、現代で言うPDCAサイクルの継続的改善と全く同じ意味において、重視されていたのでしょう。

◆相談上手
 占領軍が押し寄せて来ても、「僕はどうしたら良いのでしょうか?」と聞きに出向く……。これは極端な例としても、渡米を検討する際に意見を求める(→健康にひびくというより、むしろ体調がよくなるとの発想を得る)、ダム建設の要領を海外へ見学に行く(→当時の日本のやりかたでは工期が長くなることへの気づき)など、相談することの大切さを示す事例が随所にありました。
 能力の高い人が大きな仕事をするというより、自分の能力の限度をわきまえて、周囲に助けてもらって実現につなげる。この姿勢は、あらゆる身分の社会人に必須の素養であると感じました。(※自分の能力開発を放棄してはいけませんが)

◆2番手でも成果大
 野口英世博士の母君のポエムに感動し、慈母観音の製作という具体的なことを思いついたのは、知人が(別の目的で)作家を起用しているのを見てのこと。また缶詰の製造から缶の製造を切り放したのも、時代背景的には厳密な意味でのパイオニアではないようでした。つまり1番手の思いつきを見て、その思いつきの素晴らしさを(ある意味で1番手以上にくみとって)別の形で開花させる、という着想力があるように感じました。
 相談力とあいまって、素直さ・純真さが結果的に武器となっているようです。

 達之助翁は私と違い、本質的には「理系の人」だと思います。当社の業界やその他の理系の皆さんにも、明るく手こずりながら世の中を渡っていく理系のロールモデルとして、翁の存在はおすすめです。

 
 2020/08/09   (32/52週) 市民勉強会(高槻市)の再開状況
櫻井会長が(基本的には私人として)「高碕達之助に学ぶ会」との交流を始めさせていただいたのは、今年の2月末頃でした。

3月からいよいよ定期的な会合でご縁が深まっていく……という矢先、コロナの影響で会合は自粛を余儀なくされ、新規参加者としては出鼻をくじかれた状況でした。
その後、ようやく第一波がおちついてきた折に主催者様が判断をされ、6〜7月頃から会合が再開されています。

会合は、(われわれ社員は直接存じ上げませんが)テーマを決めて毎回、発表者を立てるスタイルのようです。発表者は一般会員からも選出されますが、政財界の偉人を研究する研究者・学識経験者の方々が補足説明・サポートをして下さる形です。

さる8月3日の会合でも、櫻井会長が新参者ながら発表者デビューを果たしたようですが(注・本人は営業トークに慣れている反面、スピーチ関係は超苦手)、研究者の方が手厚くフォローして下さり、なんとか無事にこなさせていただけた模様です。

同会は平均年齢も高めの会合ですし、今後もコロナ対策を徹底して運営され、再度自粛等のご判断も適時なされていくことと思われます。

 
 2020/03/07   (10/52週) 高碕翁のイベントに初参席
大阪府高槻市の地元で運営されるNPO法人「高槻名誉市民を語り継ぐ会」(馬渕晴彦会長)が取り上げる5名の偉人(没年順に高碕達之助さん・礒村彌右衛門さん・中井啓吉さん・村上三島さん・山崎旭萃さん)のうち、とくに高碕氏について運営される『高碕達之助に学ぶ会』(角 芳春会長)という会のイベントが先月行われ、当社から櫻井益雄会長が社員1名を伴って参席しました。
(同会の存在を教えてくださった方に、この場をお借りして感謝いたします。)

イベントは『第三回 高碕達之助 記念講演会 〜満州引揚の国士〜』と題し、高碕翁の命日である2月24日(日)に、コンサート等でおなじみの高槻現代劇場の305号室で行われました。200人余りは集まっておられたと思います。

会は3部構成で、メインの2部で東京から古海(ふるみ)健一さんを招き、『終戦前後の満州と高碕先生』と題した講演を拝聴しました。古海さんは86才とは思えない穏やかでしっかりした口調で、自身の幼い日の実体験(満州引揚げ)を踏まえ、お父君を通した高碕翁とのご縁を紹介して下さいました。

会場では高碕翁ゆかりのグッズ販売もしており、マイヤーレモン(果実または苗木。苗木は予約)・歯舞とろろ昆布・書籍『日中をひらいた男 高碕達之助』(牧村健一郎著/朝日新聞出版)が並んでおりました。当社会長は、レモンの苗を購入。この苗の育つのが楽しみです。

 
 2019/04/27   (17/52週) 碕さんゆかりの財布
当社には、書物以外にも碕達之助さんゆかりの品があります。(扇子・絵皿・財布)

革製の長財布、今でも色鮮やかですね。
(もちろん本人ご使用分ではなく、贈答用のもの)

 
 2019/04/20   (16/52週) 碕さんゆかりの絵皿
当社には、書物以外にも碕達之助さんゆかりの品があります。(扇子・絵皿・財布)

絵皿のサインはご本人の直筆でしょう。
元気なお馬さんもそうであれば、かなりの絵心ですね。


 
 2019/04/13   (15/52週) 碕さんゆかりの扇子
当社には、書物以外にも碕達之助さんゆかりの品があります。

扇子に絵皿、そしてお財布。
(3つあるので『三種の神器』と呼ぶのもファンにとっては一興)

扇子に書かれた右肩上がりの文字は、書物でおなじみの直筆です。

 
 2018/06/30   碕達之助さんのプロフィール
・大阪の造り酒屋に生まれる。
・中学生の折、英語の先生から水産業の重要性を聞かされ、水産講習所へ入学。日露戦争で前線に食糧を送るため、学校を挙げて缶詰を手作業で供給し続ける。
・東洋水産会社に就職。とくにイワシのオイルサーディン製造に習熟。日露戦争後の国内缶詰業界が振るわない中、同社は事業を整理。
・アメリカの漁業会社に缶詰技術アドバイザーとしての期間職を得て、4年5ヶ月間の渡米。ロワー・カリフォルニアの僻地に丸太小屋のような工場建屋を作るところから体験。
・大正6年、東洋製罐を設立。 ・昭和9年、東洋鋼鈑が発足。
・昭和16年、満州重工業の副総裁として満州に赴任。
・終戦〜満州引き上げ時に現地の財界人として同胞婦女子50万人の帰還に尽力。 嗜眠性脳炎の難病から生還。
・昭和27年、東洋製罐を営みつつ電源開発会社の初代総裁に就任。佐久間ダム(静岡)、御母衣ダム(岐阜)、糠平ダム(北海道)を建設。
・昭和29年、亡き母親ゆかりの土地にある2寺院(大東市野崎:慈眼寺、高槻市柱本:興楽寺)に悲母観音像を建立。
・昭和30年、乞われて政界に進出。鳩山内閣で経済企画庁長官、岸内閣で通産大臣。
・昭和32年、アジア・アフリカ会議に日本代表で出席。
・ソ連・中国との友好親善に尽力。

 
 2018/06/05   昭和40年刊行の非売品
上巻・下巻からなる『碕達之助集』の刊行日は、昭和40年2月1日。東洋製罐株式会社から刊行された非売品です。

碕氏の没後一周忌にちなみ、平塚常次郎氏(元運輸大臣・日魯漁業会長)が刊行委員長を務める「碕達之助集刊行委員会」により編集されたもの。

故人の回顧録・遺稿集に加え、政財界からの弔辞集も含まれたスケールの大きな内容。そのため、標題が碕達之助「集」になったのではないでしょうか。

モノクロ写真も豊富で、年表も付属しています。